良くいただくご相談の中に「うちの子変わっているんです」というものがあります。
「他の子のように集中できない」「集団行動が苦手」「すぐに癇癪を起こす」
「変わっている」と感じるポイントは人それぞれですが、もしあなたがそんな違和感に悩んでいるのであれば、お伝えしたいことがあります。
目次
「変わっている」ってどういうこと?
「うちの子変わっているんです」と相談してくれたお母さん
そのお母さんは幼稚園に通うお子さんを育てていました。幼稚園の先生からはことあるごとに「今日も〇〇ちゃんは集団行動ができずに、一人でどこかへ行ってしまいました」と言われていたそうです。他の子が先生の言うことを聞いてきちんと整列できるのに、その子は一人でふらふら列を離れ、園庭の砂をじっと見つめていたり…。
ある日、先生から改まって「話がある」と呼ばれました。そこでそのお母さんが聞いたのはこんな言葉でした。
「集団生活ができないなら…」園から突き付けられた通告
「このまま集団生活を送れないのであれば、園としては少し考えなくてはなりません」
園の方針と合わないので退園してほしい、そんな遠回しの通告でした。
実はこのお母さんだけでなく、集団生活ができないことを理由に「この子は変わっている」と指摘されるケースは少なくないように思います。私のところにご相談に来られる方だけでなく、私の子どもが通っている保育園でも、同じように「この子は落ち着きがない。支援を受けてみたらどうか」と勧められたお母さんもいます。
受診したら不安は解消される?
保育園・幼稚園や保健所の定期健診等で受診を勧められた場合、専門医の意見を聞くことになると思います。ただ、受診した結果「健常」と分かったとしても、安心できないお母さんがいるのも事実です。
むしろ「『健常』なのになぜこの子はできないのだろう?」「それならいっそのこと病名がついた方が安心できた」そんな苦しい胸の内を伺ったこともあります。では、そんな時はどのようにお子さんと向き合ったらいいのでしょうか。
「ものの見方は一つではない」ということ
誰一人同じ「世界」を見ていない
ここからは脳科学的な話をさせていただきます。
私たちの脳は「自分の興味・関心」がある情報を重視し、膨大な情報を取捨選択しています。つまり私が見ている世界は「私の興味・関心」に基づいてつくられた世界、あなたが見ている世界は「あなたの興味・関心」に基づいてつくられた世界であり、誰一人として同じ世界を見ている人はいません。
例えば、ご自分が妊娠されていた時、急に周りに妊婦さんが増えませんでしたか。あるいは子育てをしている今、親子連ればかりが目に入りませんか。「少子高齢化って嘘じゃないの?」と思うくらい、周りには妊婦さんと親子連れがあふれていませんか。これはあなたが「妊娠」「子育て」に興味があるから、その情報だけを脳が選別しているに過ぎません。試しに妊娠も子育てもしていないファッション好きの友人と外出してみてください。きっと友人はすれ違った人がどんなファッションを身にまとっているか、あるいはショーウィンドーの流行のファッションを見ていることでしょう。
先生の「仕事」や「目的」とは何か
その前提を踏まえて考えていただきたいのですが、保育園・幼稚園、学校の先生の「仕事」「目的」は何だと思いますか。もちろん個人差、そしてその学校のカラーによって差はあると思いますが、多くの場合「子どもたちが集団行動を送れるように等しく指導すること」が先生たちの目的であり、仕事の大部分ではないかと思います。
先生が笛を吹いたら先生のもとに走って集合し一列に並ぶ
食事の時間は全員が黙って机にお行儀よく座りふざけずに食べる
先生が話し始めたら黙ってそちらに注目する
自分が発言したい時は手を挙げて許可を得る
先ほどの「人は自分の興味・関心で情報を取捨選択している」ことを踏まえると、先生たちがご自分の「仕事」「目的」をもとに、前述のようなことが「出来るか」「出来ないか」でお子さんの能力を判定している可能性が高いのではないでしょうか。
塾の先生が「変わっている子」に抱いた評価
先のお子さんは「集団行動を送ることができない」という理由で「このまま集団生活が送れないと困る」と言われていました。ところが、そのお子さんが通っている塾では全く違う評価を受けているそうです。
「この子は賢い」「賢すぎて『疑問を持たずに他の子と同じことをする』ということが受け入れられないだけ」「幼稚園のお友達のレベルが低いように感じている」
だからお母さんは気にしないで、この子を信じてあげてください、そう塾の先生からは好意的に評価されています。
塾の先生の目的は何でしょうか。「お子さんの学力を伸ばすこと」ですよね。もちろん塾でも集団で授業を受ける時は最低限のマナーを守る必要がありますが、学習意欲があって、どんどん問題を解ける子は「出来る」と評価されます。一方、いくら集団行動ができるお行儀が良い子であっても、学習意欲がなく、問題を解くのが苦手な子は「出来ない」と評価されますよね。
「目的」が変われば「見方」が変わる
つまり、評価する人が何を重視しているか、何を目的としているかによって評価は違ってくるということです。
しかも学校や塾では「平均」と比べて「出来るか出来ないか」「上か下か」という判定のされ方をすることが多いでしょう。この「平均」というものもとても曖昧な基準です。たまたま「出来る子」がたくさんいれば「平均」も上がりますし、たまたま「出来ない子」がたくさんいれば「平均」も下がります。たかだか数十人のクラスの中で、偶然に居合わせた子どもたちの性質で決まる「平均」がすべてとは決して言いきれません。そしてその「平均」がゆるぎない基準のように感じて、苦しんでいるお母さんが多いように私は感じています。
お母さんの「目的」は何か
勿論、不安があれば適切に専門家に相談することが必要ではあると思いますが、必要以上にお母さんが悩まないために、私は以下のことを考えるようお勧めします。
それは「お母さんの『目的』は何か」ということです。
集団生活を送る能力を身に付けさせるのが園・学校の先生の目的
学力を伸ばすのが塾の先生の目的
では、お母さんの「目的」はなんでしょう。
「子どもが伸び伸び、笑顔でいてくれればいい」「この子がこの子らしく伸び伸び育ってくれればいい」驚くほどシンプルで、素直で、ゆるぎない答えが返ってくるのではないでしょうか。集団生活ができないから、勉強ができないから、その子には価値がないわけではないということ。それはお母さんが一番良くご存じですよね。
周りの人の言葉に悩まされることもあると思います。ですが、その「周りの人」以上にあなたのお子さんの良さを知っているのは他でもないあなたです。
不安になった時は「誰一人として同じ世界が見えていない」ということ、そして「一人一人の世界は絶対ではない」ということを思い出してくださいね。