一人っ子はかわいそう?

「一人っ子ってかわいそうじゃない?」もしあなたのお子さんが一人っ子で、ある日突然他人にあなたがこんな事を言われたらどう思うでしょうか?
「ええ?本当にそうなの?!」と不安になって「一人っ子 かわいそう」とか「一人っ子 影響」なんて思わずネットで検索したくなってしまうかもしれませんね。
今日はそういう「他人の何気ないひと言」に悩んだり傷ついて、「子育てで大切な事」を見失わないようにするための「おまじない」をあなたにお伝えしたいと思います。

 

「一人っ子なんてダメよ!」って本当に?

知らない人に怒られました…

私は年4回「言葉マイスター養成講座」という継続講座を開催しています。その講座は「後悔しない子育て」をするために、ご自分の心の整え方やコミュニケーションの基礎、具体的なスキルを学んでいただくためのものなのですが、先日受講生さんからこんな話を伺いました。

その方にはお嬢さんが一人いらっしゃいます。お嬢さんを連れて2人でコンビニに行った時の事。
コンビニの店員さんがお二人をちらりと見て「一人っ子?」と尋ねて来たそうなんです。「ええ、そうです」と受講生さんが答えた瞬間にその店員さんはこう言いました。

「一人っ子なんてダメじゃない!!」

受講生さんもお嬢さんも唖然としてしまったそうです。特にお嬢さんは「何故お母さんが怒られているのか分からない」とポカーンとしてしまったとか。

あなたもこんなご経験ありませんか?

私自身も怒られた事はありませんが
・「娘が2人いるんですよ」と言えば「じゃあ次は男の子を生まないとね!」と激励される
・「母は一人で暮らしているんです」と言えば「一緒に住んであげないとお母さん心細いわよ」と心配される
・「娘は保育園に通っています」と言えば「お母さんと離れてかわいそうね」と同情される
という経験は、6年間の子育ての中で何度かしてきました。

こう言う謎の激励、心配、同情をされる度にモヤッとしながらも
「え?もしかして私間違っている?」
なんて心配になる事、もしかしたらあなたもあるかもしれません。


不安になっても「ネット検索」はしちゃダメ!

かつて私は子育てで迷った時は「ネット検索」するのがお決まりでした。
特に私の育児が一番辛かった頃、私は当時3歳位の長女を全く可愛く思えなくなってしまったのですが、その時に
「上の子 可愛くない 理由」
なんてネットで良く検索をしていました。

そしてそこに書かれている専門家の方の意見を読んでは「ああ、上の子を優先しないといけないんだよな…。出来ていない私はダメだなぁ…」と落ち込んだり、一般の方のコメントに「私はそんな事ありませんでした。自分で産んだ子が可愛くないとか信じられない。親の勝手で産んだのに」なんて書かれているのを見ると「そうだよね、やっぱりダメだよね…」なんて自己嫌悪になったものです。

「一人っ子ってダメなの?」
「親を独り暮らしさせる娘は薄情?」
「子供を保育園に預けるのって可哀想?」

こんな風に相手から言われた事で自信が持てなくなった時にやってしまいがちな「ネット検索」ですが、これはあなたを余計不安にし、悩みのループに巻き込んでしまう可能性があるから私はおすすめしません。


「一人っ子で可哀想」なのは誰?

何故ならこういう「もっともらしい正論」は、「明確な根拠がない発言者の持論」である事が多いからです。
例えばコンビニの店員さんが「一人っ子は可哀想」と言ったのも、あくまでコンビニの店員さんの持論であって、全世界の全一人っ子が「可哀想だ」という統計データをもとにした発言ではないんですよね。
こういう場合の発言は
・その人が普段「一人っ子」について考えている持論
・その人の身近にいる「一人っ子」に関係している誰かに言いたくても言えないモヤモヤ
を、たまたまその場にいた「一人っ子」関係者の受講生さんに言いたくなったに過ぎないんです。

でも言われた方はたまったものではないですよね。
まるで相手が自分の事を指して言ったかのような感覚に、自分のやっている事が「間違っている」と言われた様な感覚に陥ると思います。

そうすると
・「怒る」事で自分を守ろうとする
・不安になってしまい「調べる」事で自分の正しさを証明したくなる
等、相手に振り回されてしまうんですね。


発言を「忘れられない」のはあなただけ

しかももっと残念な事に、相手はあなたがこんなに悩んでいる事も知らないで、一時間後には「自分がその発言をした事」すら忘れている事が多いのではないでしょうか。
だって、自分が普段思っている事を、たまたま関係者に出くわしたから反応して「ポロッ」と言っただけなんです。相手の言葉に深い意味もないし、決してあなたを「正してあげよう」としたわけでも、ましてや「あなたのためになるから」言ったわけでもない事がほとんどなんですね。

例えばそこで受講生さんが、「一人っ子は可哀想だ、って仰ったので2人目産みました!」なんて報告に行こうものなら「え?何で私に言うの?」「責任?とる訳ないでしょ!あなたが勝手にやったんだから!」と言うんじゃないでしょうか。

つまり、私達が傷ついたり悩んだりする一言ってほとんどの場合「何も意味を持たない言葉」である事が多いんです。でも受け取る方はそこに「自分がそう言われてしまった理由」を探してしまうんですね。
本当はそんな理由なんて、どこにもありはしないんです。

そんな相手の無責任な発言に、あなたの大切な時間と大切な感情を奪われるのって、ものすごく勿体なくないですか?

だからこんな風に考えてみるのはどうでしょうか?



「一人っ子可哀想」は「目玉焼きにはソース」と同じ

これは「あなたの価値観」

私達は一人一人が違う「価値観」を持っています。でも一人一人違うという事には中々気づけません。
何故なら自分がどういう価値観を持っているかを知らない事が多いから、相手と「違う」という事実に気づけないんです。相手と違うと気づけるのは大体「衝突」が起きた時。
「はぁ?この人何言ってるの?」
「おかしくない?」
「非常識じゃない?」
そんな強い「衝突」と共に相手の価値観との違いに初めて気づく事が多いのですが、もうその時は「感情」にのまれてしまっていますから、冷静に対処する事が出来なかったりするんです。

だから事前に、「相手の発言にモヤッとした時は相手との価値観の違いに気づいた時」と知っておきましょう。
それを知っておくだけでも、決して相手があなたを攻撃したり、非難するために発言したのではなく、相手は相手の「正しいと思う事」をただ言っただけ、と理解する事が出来ます。


あなたはソース、私は醤油

その上でこんな風に考えましょう。

「一人っ子可哀想」=目玉焼きにはソース派
「一人っ子でも別にいい」=目玉焼きには醤油派

子育てに関する事だと何だか重大な事のように思えますが、目玉焼きの嗜好のようなものだよな、と思えると何だか気持ちが軽くなりませんか?

もしかしたらあなたの周りには、「いや、絶対ソースでしょ!」「ソースの美味しさを知らないなんてもったいない!ソースかけてみてよ!」「そういえばソース試してみた?!」としつこく訊いてくる方もいらっしゃるかもしれません。
それが「ソース」なのか「一人っ子可哀想」なのか「そろそろ2人目」なのか「子供は3歳まで親が見るべき」なのかは分かりませんが、自分の信じている事が全てで、それをあなたも信じるべきだ!という「ソース教」の方の意見にあなたが従う必要はどこにもないのです。

だって、何を選ぶか、何が幸せかを決めるのは他の誰でもない、あなた自身の心の自由だから。


お茶目な挨拶、と割り切る

「ソース教」の方があなたの周りにいるのであれば、一言
「心配して下さってありがとうございます」
とだけ笑顔で言い切りましょう。その一言で十分です。

「いや」「でも」と議論したくなる時は、あなた自身も「自分の価値観」に相手を従わせようとしている時かもしれません。
あなたが何を大切に思っても自由なように、相手にも自由があります。

そこを上手に線引きして「ああ、この人、お茶目な挨拶してくる人だな」と距離を取る。

そうやってご自分の心を守っていけたらいいですね。

  
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